いまさら旅行記 歴史薫る街をゆく
さて2日目。朝起きたときから既にお腹はいっぱいである。幸せ。
長崎に来たら、これはもう関所というか、避けて通ってはならんだろうという、使命感が湧き上がるところがある。
私だけかもしれないけど。
平和公園と、原爆資料館だ。
別に、ここで戦争について物申すつもりはない。でも、行ったこと無いし。日本人として、無視はできないよなー、と思う。大人になったもんだ。
私達が訪れた日は、ちょうど長崎原爆の日の式典に向けて、準備に忙しい頃でした。
心なしか、平和祈念像の青年も足元が落ち着かなくて、どこか不安げに見えた。
私だけか?
原爆資料館での感想は、とてもここに書けるほど小さなものではないので、書きませんが、
今までは、頭で知識として歴史のなかの「戦争」と「原爆」について理解たつもりになっていたけれど、知識だの感情だの理解だのと抜かしている頭ごと、吹っ飛ばされた気分だった。
こういう資料館は、ここと広島以上に増やしちゃいけません。
午前の部から飛ばし過ぎてしまった。。
早速グルメにチャンネルを変える。
これねぇ、ほんっっとに美味しかったのですよ。皿うどん細麺。
相方は、ちゃんぽんを食べていた。ちゃんぽんも旨かったけど、あたしゃコイツが気に入った。
何が旨いって、麺が旨い。
パリパリサクサクの細麺には、意外と味がしっかりついていて、成長して大人になったベビースターラーメンのよう。(こう言っては長崎の人に怒られそうだが)
もともとジャンク・フードやスナック菓子に目が無い私のハートをいちばん鷲づかみにした長崎のソウル・フードはこれだ。
皿うどんがジャンクだと言う気はさらさら無い。
立派な食事である。豚肉に野菜や魚介類がふんだんに乗っているのだから、栄養のバランスも完璧。
だけども、食事をしている感が薄い。ちょっと腹に溜まる上等なお菓子を、ふと立ち寄った友人宅でもらって食べたような、そんな気軽さがある。
特に私は、このピンク色をした「はんぺん」(かまぼこのようなもの)がお気に入り。
すり身に目が無いのはもちろんなのだが、この色がまた、ほどよいチープさを盛り立てているのですよ。
食後のデザートは、長崎の町のあちこちで見かける長崎名物「チリンチリンアイス」で決まり。
たいていどのチリンチリンアイス屋台でも、おばちゃんが売っている。
そしてどのチリンチリンアイスも必ず100円。
チリンチリン~♪と鐘を鳴らして売りに来ることから、その名がついたそうだが、アイスというよりは、シャーベットに近い。ヘラにアイスをくっつけて、コーンをくるくる回しながらアイスを乗せていく。綺麗なバラの花の形になったら完成。
すごい。こんな芸術作品が100円。おばちゃんの創作歴ウン十年の集大成が、たったの100円である。
そういえば、長崎市内を走る路面電車も、一回100円で乗れる。
4路線あるので、市内の観光名所、歴史旧跡、繁華街がすべてカバーできる。しかも乗換えも自由。運転手さんに「乗換券」をもらえば、目的地まで100円で行けるのだ。
なんて気前の良い町だろう。素晴らしい。
いちいち繁華街で駐車場を探す手間が省けるわけだ。ナイス。
なのに車で出かけた。
長崎といえば、出島である。
日本の近代化は出島から始まったといってもいい。
ここは外せないポイントだ。
まずは、鎖国時代の出島のミニチュア模型。
ジオラマ鑑賞には血が沸き立つ私だが、わりと大雑把な大きさ&仕上がりに、平常心でスルー。
ミニチュアの町が、そのままちゃんと体験できるようになってます。
関が原の戦いの少し前に日本に漂着し、家康に寵愛されたイギリス人、ウィリアム・アダムスについて書かれた本
「さむらいウィリアムス」(出版社・著者名・翻訳者名・・・忘れた)
を読んで以来、実は、出島や平戸へ行きたくて仕方なくなってしまっていた。
この本、図書館で見つけたのだが、あまりに面白くて一気に読んでしまう。
イギリス人航海士とオランダ商人たちの目に映った、江戸時代初期の頃の日本国内の様子、アジア・ヨーロッパ諸国の様子が、彼らの残した手紙をもとに、生き生きと描かれているのに引き込まれる。
既に2回も借りて読んだのだが、残念なことに読むそばから忘れてしまうため、何度も借りて読みたくなる。何度読んでも新鮮な驚きを楽しめるのが、老化現象のいいところだ。
事前に何の情報も持たずに出向いた出島だったが、想像以上に展示資料の数が多く、ひとつひとつ丁寧に回っていたらとんでもなく時間がかかってしまった。
地元の年配の方々がボランティアでガイドをしていた。素朴な疑問にも丁寧に答えてくれる。みなさん楽しそうだった。
予想外の出島の充実ぶりに、私達の足は棒になった。
実は、チャッチャッと回って、歴史文化博物館をメインに行く予定だったのに、出島から出国したらもう夕方になっていた。
なんと時間の足りないことか。
歴史薫る街を歩くのは大変だ。
今さら旅行記 長崎編
というわけで、やっと本題であります。
念願かなった長崎旅行。ここに至るまでの悲しい過去は、お分かりいただけたと思います。
と、そろそろ出発日が近づいてきてまた問題が発生。
九州地方に台風が上陸、連日にわたり北九州地域にゲリラ雷雨をもたらして被害が出てしまったのだ。
土砂崩れで国道封鎖、洪水、浸水、停電・・・
毎日毎日TVで繰り返される被害の様子や週間天気予報の「雨」マークが、私達のテンションを下げていく。
またしてもキャンセルか。なぜこうも長崎から拒絶されるのか。
せっかく勢いづいた「九州ブーム」も、わずか2県で終わってはブームとは言えまい。悔しい。
出発日の午前中まで長崎には「ゲリラ雷雨注意報」が呼びかけられていた。
そのくせ傘も持たずに長崎空港に降り立った我々を待っていたのは、サンサンと輝く太陽だった。
サンサンと輝く太陽はすぐにギラギラへと変わり、起伏の激しい長崎の町を歩いて散策する私達の体力を、ものすごいスピードで奪っていった。
旅行中、我々の敵はゲリラだけだと思って日傘も日焼け止めも持たず、丸腰で来てしまった私に、新たな敵は、容赦なく紫外線を浴びせ続けた。
せっかく長崎に来たのだからと、まずは龍馬の軌跡をたどることに。
坂の多い街。山や丘を切り拓いて作ったように思えるこの町には、細い路地が非常に多い。
風頭公園からこの「龍馬通り」も、とても慎まやかな路地のひとつ。ここをずーっと歩いていくと、亀山社中跡。
跡である。もうちょっと面影を感じたい。
さらに進むと、見晴らしの良い狭い休憩所のようなところに出た。
龍馬のぶーつ像。ぶーつとは、ブーツである。紐のついた長めの革靴。龍馬といえば袴姿にブーツが有名だが、わざわざブーツの銅像を海に向かって作ったのはなぜか。写真を撮って早々と立ち去る。
日も傾いてきたので、夜間ライトアップされるグラバー園へ。
思っていたより広い!
長崎港を望む小高い丘にあるため、眺めは抜群!海から涼しい風が良く通るから、昼間の暑さはどこへ、まったく爽やかで、ここに住んでいたオランダ人(?)たちが羨ましくなった。
夕涼みをしてから、ホテルの人に教わった、リーズナブルで美味しい地元の居酒屋へ。
よっぽどの山奥でもない限り、夕食付きの旅館に泊まることはしない。
地元の人たちが行く、安くて美味しい肴が食べられる居酒屋チェーン店は、全国展開していない、地域密着型の良心的なお店が多い。
だから泊まるのは安いビジネスホテルにして、そのぶんご当地グルメを楽しむのが我が家の主流になっている。
ディスプレイに、本日のお勧め鮮魚が表示される。売り切れると、リアルタイムに赤線で消されていく。みるみるうちに、ヤリイカばかりが売り切れて行くのに驚いた。
確実に満腹になるまで食べてしまう悪癖を野放しにできる幸せ。
ホテルの部屋で二次会もできないくらい苦しい腹のまま、明日のプランを考えつつ、寝る。
(つづく)
いまさら旅行記 前置き
あまりにも間が空いてしまった反省のしるしとして、いまさら旅行記をひとつ。
最近の我が家では、ちょっとした「九州ブーム」が起きている。
ことのはじまりは、2005年5月。私達夫婦と私の母の3人で熊本に旅行に行ったことから始まった。
南国特有の、なんともいえないゆったりとした時間の流れに、硬くなった脳がまず溶けた。
未だ煮えたぎる活火山・阿蘇山と、中腹に広がる草千里ヶ浜の雄大な景色に、ただでさえ小さな自分が本当にちっぽけに感じた。
また、天草の海に浮かぶ美しい小島の数々に心が洗われ、リフレッシュした。
名産品を味わえるのも、旅の醍醐味のひとつだ。最近では、デパ地下に日本全国のうまいものがズラッと並んでいるようだが、それじゃあ味気ない。やっぱり、まずは現地で本物を味わってから、気に入ったものをこっちで楽しむのが良い。
そんなわけで、4年前の熊本、昨年夏の鹿児島に引き続き、今年の夏休みも、迷った結果、また九州に決定した。
迷ったといっても、北海道や沖縄と競ったわけではなく、博多にするか長崎にするかで迷っていたのだから、どっちに転んでも九州になるのは間違いなかった。
博多の中洲屋台も捨てがたかったが、見所の多さに長崎が圧勝。
思えば長崎には、かさぶたが疼く思い出があった。まだ20代のころ。
仲良し女子4人組で、よく旅行に行っていた。
今年もまたどこかへ行こう、という話になり、盛り上がるのは良いが、いつも場所選びに難航する4人だった。
なにせみな希望するプランがバラバラ。
しかも誰も主張を引っ込めようとしない。
温泉がなくちゃ嫌だという奴
風呂には興味の無い奴
美味しい魚が食べたい奴
とにかく観光がしたい奴
楽して回りたい奴
南がいい、北がいい、海は嫌だ、山にしろ・・・etc.
やっとの思いで決まった先は長崎だった。なんとか4人の我儘をギリギリで納得させてくれたのだった。
このときの幹事は私だった。
ガイドブックを買い、長崎空港から市内へのアクセスを調べ、当時は魅力だったハウステンボスの資料を集め、2泊3日のコースを決め、旅行代理店で航空券・宿泊・レンタカーなどの手配をした。
入念にチェックをし、ほぼ長崎市内の道路マップは頭に入れた。完璧だった。
正月休みを利用して行くはずだった。たしか三が日を過ぎてすぐ出発する予定だったと思う。
なのに元旦の朝、私は40度の熱を出した。
絵に描いたようなインフルエンザの症状だった。
もうろうとする頭で、旅行のことを心配していた。
・・・結論を言えば、私ひとりキャンセルをした。当然である。出発日になっても、熱はまったく引かなかった。
体中の痛みに寝返りさえ苦労しながら、家族に笑われ、ひとり泣いた寝正月。
以来、かれこれ10数年後に、こんなブームに乗って長崎来訪の時がやってくるとは。
チャンス到来、積年の恨み(?)晴らすべし。
前置きがえらく長くなってしまった・・・
(つづく)
はや9月・・・
ずるずると恒例の怠け虫にやられているうちに、気がつけばもう9月・・・。
なんてこった。
日に日に機械嫌いが悪化するなか、
まるでそんなことはお構い無しに
CD発売ツアーは終わり、
皆既日食に盛り上がり、
夏のイベントに出演し、
自身のトリオライブも何度かこなした。
その合い間を縫って、九州旅行に行ったり
地震や台風が来たりした。
そうそう、高校時代の友達の何人かにCDの宣伝をしたら、喜んで買ってくれただけでなく、連絡先も全く知らなかった元クラスメイトにまで連絡をしてくれて、急遽ライブに駆けつけてくれ、約20ぶりの再会を果たした。
会うのは大学卒業以来である。もうそんな時間が経ったのかと、ゾッとする。
そこでさらに盛り上がり、仲間が仲間を呼び、ついに高校2年2組の担任の先生にまで知れ渡るに及んで、これまた急遽、プチ・クラス会が行われた。
あいにく私は仕事のため二次会からの参加となったが、みんなビジュアル的にもほとんど変わっていなかった。
メチャクチャ嬉しかった。会った瞬間から高校生に戻ってしまう。みんなイイ歳して、キャアキャアとうるさいこと。
それぞれ結婚して母となり立派に子育てをしている人、未だ独身でキャリアウーマンで頑張っている人。
会社員にピアノの先生、中学校の音楽の先生、専業主婦、嫁ぎ先の家業を手伝っている人・・・等等。
このなかでジャズ・ミュージシャンという職業は、ひときわ浮いていた。
みな子供時代から、クラシックピアノのレッスンに、人生の大方の時間を割いてきた人たちだ。
昨今のジャズ・ブーム(?)で、TVラジオはもとより、居酒屋やラーメン屋でもジャズが流される時代になった。
にもかかわらず、高校大学生活を共に送った同志たちは、いまひとつジャズというものの正体がつかめないでいるようだった。
「ジャズ」といっても様々なタイプのサウンドがあり、それは時代によって変化してきた「ジャズ」特有の柔軟性を物語るものだ。
はっきりいって、アルバムのタイトルもサイドメン達の名前も満足に覚えられない私が語れるほど、ジャズの歴史は浅くない。
それを知ったかぶって、偉そうに講釈をタレるほどの知識も話術も無い。
本来は、別に歴史や人の名前なんか知らなくたって、充分音楽だけで楽しめる。
芸術もスポーツも文学も、みんな同じだと思う。だけど、全く知らない世界に足を踏み入れるのは、不安がある。だから知りたいと思う。ドアの向こうに何が待っているのか、少し予備知識を持って安心してはじめて、やっとドアを開けられるのかもしれない。
それでもいいけどね。
ひとりひとりがそれぞれ違う世界で輝いていた。会えて嬉しかった
もしかしたら新たな「ジャズ・ファン」を獲得できる絶好のチャンスを失ったのかもしれない・・・
でもいいんだ。