子供の頃、カレーライスは不味い食べ物だと思っていた。
それは、母が作るカレーを美味しくないと感じたからだった。
大きめに切ったジャガイモ・人参・玉ねぎを、ほんの少しだけ炒め、
水を加えて数分間煮込み、ハウスバーモントカレーの甘口で味を付けたそれは、
口の中に入れると、湾曲した形をそのまま留めた玉ねぎがシャキシャキと
歯ごたえがよく、中まで味が浸みる間もなく完成を迎えたジャガイモと人参が、
ジャガイモと人参以外の味を拒絶するようにジャガイモと人参の味を主張していた。
そこにはもちろん、アメ色になるまでじっくりと炒められた玉ねぎなどは存在しないし、
子供用にと、甘口ルーでこしらえたはずのカレーを、「うちのカレーが一番うまい」と
絶賛する父の意見を尊重した結果生まれた、魅力に欠ける食べ物だった。
今から考えると、ほとほと不思議に感じることがたくさんある。
全体的にいって、我が家の味付けは、かなり甘めだったといえる。
ご飯のおかずなのに、である。
卵焼きには砂糖。
すき焼きには、醤油より何より砂糖がどっさり入った。
肉じゃがなんか驚くほど甘く、芋好きな父に合わせて、サツマイモの煮付けも
よく食卓に上ったが、母からは、
「これは砂糖は全く使ってないのよ、すべてサツマイモの天然の甘さなの」
などと何の言い訳なのかよくわからない説明を聞かされた。
もういちいち書くのも面倒くさいが、ひじきや切り干し大根の煮物や混ぜご飯にまでも、
それはそれはお砂糖がふんだんに使われたのだった。
はっきり言って、私の口にはことごとく合わなかった。
何が出てきても甘いおかずに嫌な顔をする私を、母は「我儘だ」と言って怒った。
だから毎日怒られた。
ハンバーグのソースも、ケチャップとウスターソースを混ぜた甘いソースだった。
甘くないおかずは、豚の生姜焼きと、刺身と、イカの塩辛と、ふりかけと・・・
スーパーで買ってきたモモヤ系の瓶詰くらいなものだった。
今思い出してみると、私の子供時代は、今ほど外食をする機会が多くなく、
学校給食を除いては、ほとんどが家での食事だった。
そりゃ時々はパンも買うし菓子も食べたが、家の味で育ったわけだから、
家の味がいわゆるおふくろの味として、美味しい味として脳にインプットされるのが
自然なのではないだろうか。
なのに私は違った。
たまに夕方、近所の屋台でおでんを買ってもらって食べた時などは、美味しくて夢中で食べた。
いま私が非常な練り物好きなのは、こういう背景からなのでは?と思わなくもない。
そんなわけで社会人になるまでカレー嫌いだった。
学生時代に学食やスキー場でカレーを食べる友人を見るたびに、こんな不味い食べ物に
お金を払うなんて、なんて物好きな奴らだ、と思っていた。
ただの食わず嫌いのアホだったわけだが。
生まれて初めて美味しいカレーを食べた感動秘話は、またこの次として、
(ふつうの外食カレーはどこでも大変美味である)
つい先日、実家のカレーを食べる機会に襲われた。
何十年ぶりか。
電話口で震えがきた。
電話を切った後、旦那におそるおそる打ち明けた。
「明日のお昼カレーだって」
旦那さんはとても優しい目をして、「ちょっと楽しみ」と言った。
カレー好きな彼は、佐久間家のカレーをただ楽しみにしたわけではない。
散々、それはもう散々っぱら私から聞かされた、佐久間家恐怖のカレーをとうとう自分も
味わう時が来た、という覚悟と好奇心から興奮していた。
「いちおうルーは辛口ね、って言っといたから大丈夫だとは思うんだけど・・・」
父亡き今、まさかとは思ったが半信半疑のまま常磐道を飛ばした。
結論から言うと、フツーに美味しかった。
フツーのカレーを食べ慣れているカレー好きからみたら、ただのフツーの家カレーだろう。
が、私の感動がどれほど大きかったか、分かってもらえると思う。
ついに21世紀が来た・・・
実家にも21世紀は訪れていたのだ・・・
安堵とともに、不味いカレー秘話の証明ができなかったのが少しだけ悔やまれた気がした。
でも、証明できなくてよかったような気もする。