嬉しいニュース。でも・・・
昨年夏のツアーでお世話になりました、仙台市の方々が
ご無事でした。
もう、なんていうか、胸が熱くなるというのは、こういう感じであります。
泣きそうです。ホント。
肩の上にのっかってた岩が溶けたような・・・と言えば大袈裟かもしれませんが、
はぁ~~~良かった・・・
現在の惨状を目の当たりにしたら、とても手放しで喜んでは・・・
いやいや、無事だったんですもの!これ以上、何を望むというの!
仙台でのライブの時に、スタッフの一人として強力にサポートしてくださった方の
ご自宅は、町ごと失くなってしまった南三陸町だそうで、
町の人口の半分の方がいなくなってしまわれたそうです。
その中にはもちろん、大勢の友人・知人が含まれていて・・・
・・・絶句・・・
言葉が出ない。想像ができない。
ニュースで毎日見ていても、実際に自分の周りで同じことが起きたら・・・
と考えてみれば、想像の範囲を超えていて、とても判然としない。
今回、Facebookを通じてメッセージが帰ってきた瞬間、安堵とともに、大きな喜びとともに、
あらためて、今の胸がつぶれるような現実にショックを受けたのでした。
そして、ショックを受けている自分にも、またショックを受けたのです。
気付きたくなかったことに気づいてしまった。
ひょっとしたら、自分は、この非常な事態に慣れ始めていたんじゃなかろうか。
こんなにも毎日、こんなにも多くの人が、家も財産も家族も仕事も何もかも失って
困っているのに。
毎日毎日、不眠不休で、復興・復旧作業に従事している人たちがいるのに。
わかっているのに。
メッセージを読んだとき、初めて知らされたショックのように、
地震直後すぐTVをつけて、信じがたい光景に戦慄を覚えた、あの感覚に、
今さらながら襲われた。
わかっていたはずだったのに、ちっともわかってなんかいなかった、
ということがわかって、ショックだったのです。
いつ返事が来るかと、毎日心配しながら過ごしていたのは事実だ。
わずかだが募金をしたり節電をしたり、小さな力になりたいと願った気持ちは、
嘘じゃない。
なのに、いつの間にか、自分の暮らしが平常に戻りつつある中で、なにか、
被災地の苦しみが、実際の距離よりももっと、はるか遠くに感じられてしまっていた気が
する。
こういう人間を、浅ましいというのだろう。
嬉しいニュースが飛び込んできた代わりに、利己主義な自分に気付かされて
凹みました・・・