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母の日の情景

ちょっと早いけど、水戸から母が上京してきて

我が家の母の日のイベントが地味に行われた。

地震が来ると嫌なので、今回は、あまり遠出せず、乗り物移動も極力避ける。

てぇことで、上野公園を歩くことに。


地味だ。


そもそも母は水戸からスーパーひたち号でダイレクトに上野駅に降り立っており、

そのまま上野公園を歩いて終わるということは、

わざわざ東京に来て、かなり狭いエリアだけをピンポイントで観賞し、

たいした感動も得られないまま帰路に就くことになる。


徒労だ。


が、仕方がない。事情が事情なのだから、どんなに徒労でも我慢して回って

がっかりして帰ってもらおう。


いちおう、ランチだけは母のリクエスト通り、公園内の精養軒を予約した。

昼前に予約をし、さらに15分ほども早く到着したのに、すでに長い行列が。

へえぇ、こんなに人気店だったの??

まぁ、夏目漱石の小説にも、たびたび登場する老舗の洋食屋だから、漱石ファンとしては

興味津々だったのだけれども、あらためて目の当たりにすると驚きを隠せない。

予約しててよかった。

期待に反して、明治っぽさは微塵もなく、当時の匂いなど従業員の誰もが興味なさそうだった。

残念だけど、建物は戦災か大震災か何かで焼けちゃったのかな。


なかなか美味しかったお食事の後は、もう歩くしかない。

けど、今回歩いてみて、実は、新しい発見がたくさんあったのだった。

今までは、上野公園は動物園や博物館などのほかは、ただの公園だけだと思っていた。

が、公園内には、意外と地味な面白スポットがあったのである。


まずは大仏。上野に大仏があったなんて知ってた?しかも顔だけである。

大仏さまの生まれは古く、江戸時代の江戸っ子だ。

地震や火災で何度も損傷し、関東大震災でとどめ。とうとう頭部が落下するという悲劇に

見舞われたあげく、戦争中には軍需金属資源として胴体を持ってかれる始末。

お可哀想な大仏さまは、現在、お顔だけがレリーフとなって保存されている。

もし残っていたら、6メートルもあったという上野の大仏。すこぶる残念である。


それから上野東照宮。これも知らなかった。徳川家康の遺言で作られたとか。

境内には、ぼたん園があり、訪れた時はちょうど「ぼたん祭り」が千秋楽を迎えていた。

この、ほぼ祭りの終わりかけたタイミングというのがまた、地味でいい。


同じ境内には、原爆により広島・長崎の町が炎に包まれた、その種火を保存してあった。

「この火、本物かしら?」「ガス引いてるよねぇ」

と、わざわざ記念碑の裏にまで回って、消えない炎の謎を解明した母に、戦争体験者の強さを感じた。


下町風俗資料館。これは気軽に江戸の風情を体験できる下町資料館だ。

商家や長屋は靴を脱いで中に入れる。真鋳でできた「お勝手」や、昔懐かしい「駄菓子屋の店先」

井戸や物干し竿、長火鉢にちゃぶ台、もろもろの調度品から生活道具に至るまで、

すべてが本物で、実際に使われていたもの、長い間大切に保管されていたものが、

台東区に寄贈されているのだ。すごいねぇ。


ほかにも、野口英世の銅像やら、戊辰戦争で会津征伐に行った親王の銅像やら、

言わずと知れた西郷どんに、戦後初代の東京都知事の像・・・

時代も何もぐちゃぐちゃである。


家康をはじめ徳川家を祀ってある上野東照宮の近くに、倒幕のヒーローたちの銅像を置き、

それらを明治新政府が作った公園内にまとめちまうって発想は、いかにも日本人だねぇ。


というのが我が家の結論である。




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